Otterson’s blog

趣味、思ったこと

仮定法についての考察 part 2

仮定法の続き。仮定法現在について。

前提として、自分は高校の頃、英語"だけ"は安定して"平均点は取れた"科目であり、それ相応の基礎知識はある。

平均点が取れただけで、「学年X位」とか「クラスX位」のような輝かしい記録はない。せいぜい40人クラスで15~20番目である。

(※英語に限る)

 

さらにこの記事を書く上での前提として、

  • 仮定法過去は、主節は現在の内容を言っているけど、副詞節の動詞の形が「過去形」だから仮定法過去という名前
  • 仮定法過去完了は、主節は過去の内容を言っているけど、副詞節動詞の形が「過去完了形」だから仮定法過去完了という名前

くらいは理解できている。と信じたい。

 

さて本題。

絶賛「仮定法現在」の再学習をしようとしているところで、いきなり暗雲が立ち込めた。

例の古文書によると、

仮定法には、(1)仮定法過去 (2)仮定法過去完了 (3)仮定法現在 があるが、(3)は特定の場合以外はほとんど用いられない。

とある。

 

特定の場合ってなんだ。その内容を探るべく、ページを進める。

仮定法過去が現在の事実に反する過程などをするのに対し、仮定法現在は、現在または未来に関する不確実な想像を表す。

動詞は原型を用いるが、現代英語では次のa), b)の場合に使われる程度である。

a) 命令・提案を表すthat節

b) 祈願・願望を表す文

 

なるほど。

まず動詞は原型なのか。じゃあまずは「仮定法原型」に名前を変えてほしい。話はそこからである。

 

その次、「現在または未来の不確実な想像」。

これは「どうなるかはわからんけどね」だろうか。今風に言うと、文末の「知らんけど」がそれにあたる(ほんとか?)

 

いずれにしても、仮定法とは「話者が思っているニュアンス」の表現方法ということを改めて思い出しておきたい。

そして何気に重要なのが「a),b)に使われる程度」だろう。知らんけど。

 

a) 命令・提案を表すthat節

これはいわゆる'should'を追加しても意味が通る提案・要望・命令の文のことだろう。

I requested that you should leave now.

「今行った方がいいよ。(間に合うかとかは知らんけど)」

この文の'leave'が原型なのが仮定法現在の特徴的な箇所だろう。ちなみに'should'は省略可。

「仮定法」と呼ばれるその所以は、「(わたしにはよくわからんけど)」「(そうした方がいいよ)」という話者の気持ちであると推察する。

このあたりが「もし~ならば」の和訳の公式が使えないので、「マジ英語わかんねぇ」なんだろうと共感する。

 

そして書籍には、小さく別ページ参照が記されており、

主節の述語動詞の表す「時」よりも以前のことについては<should have+過去分詞>「~したのは…」を用いる

とある。さらっと書かれたこの文章が地味に重要な気がしてならない・・別記事で書きたいと思う(願望)

 

ちなみにb) 祈願・願望を表す文は、書籍には

といった「特定の慣用慣用表現のみに用法が限られる」がさらっと書かれている。

どちらも'blesses'や'lives'といった語形変化はせず、原型が使われるんだよ、と書かれている。

 

...いや、これは「祈願のMay」の'may'の省略形ではないか・・仮定法に含めるのかよ・・

ちなみに'Queen'が使われていることに時代を感じた。

仮定法についての考察 part 1

仕事柄英語を使うこともあり、何よりキャリアを考えても英語は必要とのことで英語学習中。

 

仕事で英語を使う場面といえば、マニュアルを読んだりメールを書いたり程度なので、Google先生もいるし困ることはなかったが、

キャリアを見据えた英語となるとレベルが違ってくるのである。

 

本題に入るが、今回は仮定法の概念だけ。

 

高校英語で唐突に人々の脳内にデビューし、人々を混乱の渦におとしいれたトラブルメーカー"仮定法"。

そんな仮定法も、大学受験で半ば強制的にでもある程度交流したのであれば、

"If I were a bird, I could fly."

くらいは読めるし、文法的な説明はできるかと思う。

 

しかし仮定法というのはあくまで文法単元なので、

アジアと日本、レコード会社とレーベル、すかいらーく夢庵、のような関係になっている。

要するに、奥が深いのである。

仮定法と一括りにされた配下に、「仮定法過去・仮定法過去完了・仮定法現在」が存在するのである。

 

手元に現存する古文書の某有名チャート式新総合英語にはこうある。

仮定法とは

あることを事実として述べるのではなく、話し手の仮定・願望・意見などとして述べる場合、英語では動詞の形を変えて表現する。これを仮定法とよぶ。

 

文法書にしては高校生向けらしく優しく易しく書かれているではないか。

嚙み砕くと、「もしも話、願い事といった、妄想を話す時は動詞の形(時制)を変えるんよ」である。

 

"If I were a bird, I could fly." を例に出して、仮定法の基本といえる「仮定法過去」を説明。

「自分はヒトだから鳥じゃないんよ」「鳥だったらいいよね」「飛べるもんね」の妄想を話者が「話したいなぁ」と思ったら、

 

①動詞(この場合be動詞)の時制を変える。

②この妄想を考えているのは「今現在」なので、1つ前の時制の「過去形」に変える。
 ※日本語でも「もし~"だった"ならば」って言うでしょ

③もっと言うと、書き言葉では'I'に対応するbe動詞'was'ではなく、より妄想感を出すためにわざと'were'を使う。

 

そんなこんなで、

「英語で妄想とか現実と違う話をする場合はここまで気を遣わないといけないのか‼」

「日本語はなんて楽な言語なんだ‼」

など人それぞれに不満と持論を述べ、受験期の終わりとともに仮定法との交流を終えるのである。

 

ちなみに仮定法自体は先に挙げた「仮定法過去完了・仮定法過去・仮定法現在」の3つしかないが、「倒置」「例外」「特殊用法」などが付随するので、

人々の脳内で「トラブルメーカー☆仮定法」が完成する。

 

そして本当にここに記したいのは自分が今再学習中の仮定法現在なので、それは今後書く予定。

ブログというものを始めてみる

思い立ったが吉日というが、その吉日を3年・・5年、いや10年見送ってきた。

 

10年という期間は適当であるものの、事実として「ブログやってみようかな」と「めんどくさいな」と「あぁ忘れてたわ」をミルフィーユ・・いやミルクレープのように積み重ねてきた。

 

ところで10年前とは2013年であり、ようやくドコモがiPhoneを発売した頃らしい。

 

あの頃自分は何をしていたのだろうか・・

真夏の暑い中、近くの中華食堂で焼肉定食を食べていた記憶しかない。

 

ここ最近は身の回りの事情も相まって、1日の会話、発する単語が少なくなってきたこと、

そしてどうやら人は会話をしないと寿命が縮むということにビビって、

好きなこと、どうでもいいこと、思ったことをアウトプットする場として始めます。

 

とりあえず1記事作成、偉い!

 

以上、それでは。